尊敬と目指してない感

自分が「尊敬する人」と「目指す人」は違う。

つまり尊敬しているからといってその人を目指しているわけではないし、その人のような在り方を目指しているけれども実は尊敬はしていない、みたいなことが普通である。もちろん、尊敬しているし目指している人もいるが、めったに現れない。

世の中にはすごい人がたくさんいるので、尊敬している人はたくさんいる。その人なりの素晴らしさに敬意を表したいと思うし、尊敬している人が何を考えているかは知りたいと思う。しかし尊敬しているからといって、その人の考え方をトレースしたり、キャリアパスを追いかけたりするわけではない。

どこかに続く階段

私にとって「尊敬」と「目指してない感」は、同居できるけど雑居できない。同じフロアに広げることはできるけれど帰るべき部屋はあっちだ、というふうに、私の脳内で住み分けされている。なんならデバイドと言ってもいいかもしれない。

その線引を大事にすることは、私にとって重要なことだし必要なことでもある。

尊敬のエッセンスをできるだけ最小化して拾い集めた時に、自分がそれをどう再構成してどこを目指すのかの形は変わる。誰かに批判されたり否定されたりした時に、何を拠り所にするかという自分内基準は、自分にしか作れない。

尊敬する人を目の前にした時、自分の中の「目指してなさ」に自覚的でないと、いろんなものがぶれる気がする。そこがぶれやすい状態では、自分が信じたものを続けていける気がしない。「目指してなさ」の自分内表明はきっちり持っておきたいと思う。

読み返してみると、いったい何がいいたいのかわからない文章だけど、こういう漠然としたことを書き残していけるブログというのは、よいものだなぁ。

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