透明すぎると見失う

以前、ある特徴的な建物を目指して歩いていた。その建物は周囲の普通のビルとは違って、ガラス張りでオープンな作りになっており、他と違う個性を持っていると聞いていた。

しかし、歩いても歩いても辿り着かない。同じところを何度も何度もぐるぐるとまわり、交番にまでお世話になってもまだ辿り着かない。普段、そこまで致命的な方向音痴というわけではないのだが、なかなか目指す建物が見つけられないのだ。

30分以上迷い続けた末、ようやく建物を見つけることができた。先ほどから何度も通過していた場所にあった。自分でもなぜそれが見つけられなかったのかまったくわからないまま、その体験を忘れ去っていた。

水の中にいる人たち

ふとしたきっかけでそのことを思い出し、なぜ見つけられなかったかをもう一度考えてみた。やはりわからない。建物はじゅうぶんに大きく、ガラス張りで透明で、中で行なわれているイベントの様子が外からまるっと見えた。しかも道路に面した角地にあり、2面から中を見ることができる。なぜ通りすぎてしまうのか、原因が思い当たらない。

強いていうならば、透明すぎた。何も引っかかりがない。看板もないし、でこぼこもない。確かに中の様子はよく見るとすべてわかるが、ガラス面が反射するため通行時の印象は弱まる。

想像でしかないけれど、引っかかりがないものは意識に飛び込んできづらいのかもしれないなぁと思った。自分の中のなんらかの思い込みを超える程度の引っかかりが必要なのかもしれない。

透明であることって素敵だしかっこいいけど、なぜ透明にするのかの意味って大事なのかもしれないとも感じた。すくなくともあの建物は私には透明すぎて、街に溶け込むというより、すべてが他人事の世界みたいに見えるくらいだった。

フルオープンなのに閉鎖的に感じるって、逆説的でおもしろいね。

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