旅とわたし:マルセイユ(フランス共和国)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の8日目です。

先日紹介したニースも含め、南仏は想い出深い土地のひとつだ。中でも、特に忘れがたい体験を私の中に残したのは、マルセイユだった。

マルセイユはフランス最大の港湾都市。商業都市であるため、観光面では弱いと言われているが、私にとっては人々の活気と暮らしを感じることのできる魅力的な街だった。なんといってもチャーミングな人が多くて、自然と笑顔が増えた。

とはいえ、マルセイユはフランスで最も治安が悪いと言われている都市。陸路でマルセイユ入りした直後には、かなり緊張していた。タクシー乗り場の屈強な運転手さんたちと対峙したときにも度胸が必要だったし、ホテルに入ってからもフロントの厳重な施錠管理に驚いたりした。

旧港で釣りをする男性ふたり

旅先をひとりで歩くのが好きなのだが、マルセイユではそこそこ自制した。お金持ちの観光客しかいないような大通りは用がなかったし、裏通りや市街地から離れた地域もひとりでは行かなかった。そういった場所は観光バスや観光用プチトランを利用して見て回るのみに留めて、無用なトラブルに巻き込まれないよう注意した。

滞在中かなり警戒していたのがよかったのか、「ちょうどいい身なり」を心がけていたのがよかったのか、幸いタクシーにぼったくられることもなかったし、スリや不審者に囲まれたりすることもなかった。旧港付近では何度か怪しい人に声をかけられたが、しつこくされることもなく、比較的リラックスした気持ちで過ごすことができた。

旧港で釣りをする子どもたち

そうした治安への不安を差し引いても、マルセイユで見かける人々は人懐こくキュートな印象だった。風景にカメラを構えれば「俺も入れておけ」とフレームインしてくる人がいるし、何かいたずらをしているシーンを見かければその人は必ずこちらにウインクを投げてくるといった具合。

出会う人と交わす何気ない会話が楽しかったし、私のつたないフランス語もちゃんと聞いてくれた。食事をとるために入ったレストランでは、ウエイターのおじさんたちに柔道や合気道の精神性について問答をふっかけられ、なけなしの語彙を総動員しておしゃべりした。

サン・ジャン要塞付近でおしゃべりしていたおじさんたち

朝のマルシェを眺めるのも楽しくて、珍しい魚や人々のやり取りを見ているといつのまにか太陽の位置が変わっているくらい。料理したくてうずうずするので、港町ではキッチン付きの宿を取るべきだなぁ。

ガイドブックの写真に載っているおじさんが実際にそこで働いていて、なんだか不思議な気分になったりもした。おじさんのフォトジェニックっぷりに、おじさんがガイドブック常連なのにも納得。マルセイユはなんだかおじさんが絵になる街でもあった。

朝のマルシェで魚を売るおじさん

少し長めのフランス滞在中、マルセイユは4日間しかいなかった。治安に警戒するのとは裏腹に、驚くほどクリアで静かな気持ちで過ごしたのを覚えている。マルセイユ滞在をもっと長めに計画しておけばよかったなぁと思ったほどだった。

ある場所で暮らすことと旅人として存在することは、悲しいくらいに別のことだ。ここで暮らしたいなぁという考えが浮かばなかったわけではない。しかし同時に、生活を持ち込んだら同じ気持ちで景色を眺めることはできないのだということもわかっている。

私は旅をしに来たのだ。心に静けさが満ちれば満ちるほど、自分がよそ者であるという空気を肺の奥深くまで吸い込むことになる。奇妙なざわめきと頼りなさ。拠りどころのなさを感じることで、また心の静けさが深まってゆく。

マルセイユに訪れた頃は、自分の中の旅人としてのバランスがいい具合に不安定だったタイミングなのだと思う。非日常の旅が身体に馴染んできた頃に、人が暮らす街の営みに触れて、自分の中にある境界線が甘く揺らいだ。その揺らぎは思いのほか甘美なものだった。

夕暮れの旧港

ここまでのシリーズにならって、もう一度マルセイユに行きたいと思う理由を考えてみた。実はこのエントリを書きはじめる前までは、ずっと再訪したい街ナンバーワンだった。しかし、本当に再訪したいのかどうかは、逆にわからなくなってきた。

なぜなら、マルセイユで体験した例えようもない揺らぎは、もっと根源的な部分に影響を及ぼしたからだ。私自身のタイミングとマルセイユの街が持つ生命力が共振して起こった揺らぎ。それは麻薬のように私の中に潜んでいて、忘れた頃に私を呼ぶ。旅に出たいという衝動。揺らぎに身を投じたいという誘惑。

すくなくとも、そうした体験をさせてくれた街にまた行きたいという気持ちがあるのは間違いない。

当時とは政治的な状況も随分変わった。街の雰囲気も変わっただろう。当時とのギャップを考えると、今のマルセイユを訪れるのは怖いような気持ちもあるが、それでもやはり、また訪れたい。

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